「クラスで飼って居た金魚が死んだんです」 放課後、いつもの待ちあわせ時刻より少し遅れて 不二のクラスにやってきたリョーマは、彼の顔を見るなりそう言った。 皆各々部活に参加したり、下校したりしている時分 室内に彼ら以外人影はない。 いずれかの委員に属して居る二人が 毎月定期的に行われる委員会の話し合いを隠れ蓑に、 部活に遅れていくまでの間こうして会うようになってから、 随分経つように思われた。 「あの、朱い?」 リョーマのクラスを幾度か訪れたことのある不二は、記憶を巡らせ 頭の隅にある朱い姿態を捉えた。 薄ら霞の掛かる記憶の中で、それはゆらゆらと透明な水に 揺れている。 リョーマは、無言だったが否定をしない。 特に愛着をもって眺めたでも無い魚に、そうかとだけ不二は思った。 死んだのか、あんなに綺麗だったのに。 やたら鮮明に朱色だけが、脳にこびり付いたままだ。 「だから、委員終わってから埋めに行ったの。クラスの皆と。」 そこまで話して、リョーマは不二の座る真横の椅子に腰を下ろした。 三年の体格に合せて補整されている椅子は、 幾らもリョーマの身体には大きい。 深く腰掛けると、足は地に付かずそのまま空に遊ばせた。 窓硝子を突いて、室内に忍び込む西日が くっきりとした明暗をつくりあげ影を浮き彫りにする。 歪んだ影法師が、リョーマが身体を動かす度同じように揺れた。 図らず、それに意識をやったまま彼は口を開く。 「どうして、生き物は死んでしまうのですか? 何も遺せないなら、いずれ果てるなら、 どうして生きなければならないの」 呟かれた言葉に、不二は机に上体を傾け弱ったなぁ、と吐いた。 茜色の空が、藍紺の夜を呼ぼうとしている。 部活に今日は出られない予感がした。 「答えが、欲しいのかい?」 漆黒の髪に手を掛けて問い返す。 さらり、と流れる黒髪は夕方の光を吸収して仄かに手に温かった。 白い肌が、朱橙に染まる。 「可成なら。でなければ口に出したりしない」 「僕にも、難しいよ」 「アンタなら、何でも知ってるような気がしたのに」 「僕は、無知だよ」 「本当に無知ならば、そんなこと言わない」 「そうかな」 「そうだよ」 不二は、深く息を吸った。 肺の中に空気が吹き込まれ、何の操作を要するでも無く呼吸が適う。 ―――嗚呼、こんなに単純な所作なのに。 揺れる魚のイメージが、くるりと瞼を掠めた気がした。 「怖いの、越前?」 「怖いと思う」 「如何して」 「俺も、アンタも、いずれ何も遺せずに。 死んでしまうと知っているから」 「ずっと、先のことだよ」 「そんなの判らないぢゃん」 「・・そうだね、誰にも判らないものだね」 泣きたいの? ことり、と首を傾げて不二がリョーマの眼を見れば そうかも知れないと彼は残して俯いてしまった。 透明な雨垂れがひとつ、音もなく床に落ちる。 リョーマの目元に、掌を寄せるとなおも零れる雫に 不二は今度は唇を寄せた。 潮の味が、した。 「ねえ、越前。 僕も怖いよ?きっと、平生は気付かないだけで 皆恐れているんだと、思う。 けれど、何時だって終りだけを考えていたら 怖くて動けなくなってしまうよ」 「如何すれば、」 「始まりがあれば、必ず終りはあるのだから。 君は現在を信じればいい。 譬えば、此処に僕が居ること。君の傍に僕が居ることを信じて? 何より、確かで確実だよ。 怖いことなんて、何処にもない」 何時の間にか、重ねられた手は柔らかく確実に力が込められる。 その温かさに、いっそ沈んでしまいそうだった。 椅子の向きはそのままに、くるりと身体を反転させる。 漸く、不二の目を見たリョーマに些か安堵した様子で 彼は顔を綻ばせた。 「何か、未だ怖いかい」 「少しだけ、怖い」 「君が、優しい子で良かった」 もうじき下校の時間だね、と不二が言った。 立ち上がると、教卓に置かれている教室の鍵を手に 再び踵を反してリョーマの正面で立ち止まる。 「行こうか」 小さく頷いた。 「先輩は、ずっと傍に居てくれる?」 「如何だろう、そう願うけれど。無責任な約束は、難しい」 「だろうね。俺も判らないもん」 「愛しているよ、それでも君を」 歩調を緩やかにリョーマに合わせながら、入日の落ちる廊下を 歩く不二が前を見据えたまま言う。 「・・・・・目に見えるものですら、確かでないのに。 目に見えないものなんて、殊更」 小さく呟いたリョーマの台詞は果たして届いたのかどうか、 肯定の言葉も否定の科白もないままで。 朱い、朱い空をただ漠然と二人で眺めた。 電波っぽい。ブルブル・・・。 あたしも未だに哲学的な意味での生死の観念は掴めないままで。 若しかすると、そんなの掴める人なんて何処にも 居ないかもしれないとも思う。 |
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