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蒼 空




リョーマの家は昔から続く旅籠屋だ。古くは江戸時代旅人を泊まらせる
食事つきの民宿だったが、近世時代と共に少しずつ変化してきている。
リョーマは現在の主人南次郎の一人息子なので、幼い頃から家業を
継ぐものだと思って育ってきた。なので、店のことは大抵一人で出来る
ようになっているし、父もそれを承知しているから別の商売にも手を
出して、母とともに奔放な根無し草的生活を営むようになって久しい。
この辺りは昔ながらの老舗が多いため、自然と近所付き合いも親密になり
リョーマのことを気に掛けてくれる大人は多いので安心しているのだろう。
お客も顔なじみが多いので、リョーマも別に寂しさは感じていなかった。










その日は朝から土砂降りの雨だった。
梅雨入りしたと新聞は伝えていないが、間もなくだろう。
木造の家屋は情緒があるといえば聞えは良いが、雨漏りするので厄介だ。
応急処置としてこの間大工に頼んで板を打ち付けてもらったが、
大丈夫だろうか?と家中を確認するがてら不図視界に鮮やかな青が
飛び込んでくる。
紫陽花だ。
玄関に咲いていたのを思い出して、草履を履き、傘立てから蛇の目傘を
取った。手には鋏、暫く花瓶に生けておけば客に楽しんで貰えるだろう。
どの枝ぶりが良いか思案していると、家の前に蝙蝠傘を差した人影が
佇んでいるのに気付く。
お客だろうか?

「―――――あの」

御用ですか?と言い掛けて息を呑んだ。
淡い蜂蜜のような栗毛に、碧眼と白い肌。

(――――――異人さん)

この辺りは寺院や神社が多く、古式ゆかしき日本がそこら中に
残っているので一寸した観光名所だ。
商売も手伝って、異人を見るのは初めてではないが、一寸ないくらい
整ったその容貌に驚いた。
雑誌や新聞で来日が騒がれているスターよりも余程綺麗だ。
男性か女性かの区別もつかぬほどだが、辛うじてその背格好で男だと
分かる。
サラサラと毛筆を走らせて、台帳に名前を記すその人を見つめつつ
リョーマは慣れない言葉を口にした。

「ハウロングウッヂューワントゥーステイヒヤ?」

父親から教わった英語だ。
あと、サンキューとグッバイ、ウェルカム、イエスとノー。
それさえ言えればあとは笑顔を絶やさなければ何とかなる!と豪語され
実際今まで何とかなっている。
ハンサムな異人さんは一瞬その宝石みたいな目を瞬かせたが、直ぐに
ふんわりと微笑んで「1month」
と指を一本立てた。
マンス?マンスって・・・・

「一ヶ月!?」

日捲りの暦をペラペラと捲ると、にこりとまた彼は笑う。

(一ヶ月って・・・・・・・・・・・・・・)

確かに旅館に泊まるよりは全然安いが、それでもどれだけ金が
掛かるんだ・・・・と思うが、その心配を見てとったのか持っていた
雨避けのマントを探ると、皮製の財布を取り出して見せた。
滞在には充分なだけのこの国の通貨、きちんとした身形だし、
あまり詮索するのは失礼かと思ってリョーマは了承の意を込めて
深く頷いた。











二階の角部屋は一番日当たりも良く、景色が抜群だ。
内装はどの部屋も似たり寄ったりで、襖に障子、和箪笥といった
基本的なものは揃っている。
今日は生憎の雨模様だったが、それはそれで雨に濡れた町並みも
趣があった。
大きな旅行鞄をリョーマが抱えて運ぼうとすると優しくそれを拒み、
重いから、とでも言うように自分で運んでいく。
華奢なようでいて、力はあるのか。あちらの人は随分と紳士だ。
チップの風習があるらしく、小銭をリョーマに渡してきて、頭を
振るが、手に手を包み込むようにして握らされた。
―――――参った。
その分夕食を豪華にしてやろうと思うより他無い。
彼が滞在して、一週間も経てば一躍界隈の人気者になっていた。

「何処かのモデルさんかしら。綺麗よねぇ」

「目が合うといつも笑ってくれはる」

「ほんま礼儀正しくて・・・・・・息子にも見習って欲しいわ」

妙齢のご婦人方の評判も上場で、女誑しだ、と内心リョーマは思った。
この間まで異人は怖いの野蛮だのと言っていたくせに女は強かだ。
打ち水をしていたリョーマのもとに一寸、と井戸端会議に精を
出していた向かいの呉服屋の女将さんが声を掛けた。

「はい?」

「リョーマちゃん、アンタあの異人さんのお世話ちゃんと
 してはるん?」

「してます、けど」

言われずとも御代を貰っている以上は、三食出しているし、部屋も
掃除しているし、風呂だって欠かさず沸かしている。
すると嫌やわ、と声を潜めて彼女が手招きをした。
近寄れということらしい。
呉服屋らしい仕立ての良い着物に香が馨る。

「そうやなくて・・・・・・若い旦那さんやろ?
 芸者さんでも呼んであげた方が好いんと違う?」











失念していた。
確かに此処から色街も近いし、あの容貌ならば珍しさも手伝って
さぞかし引く手数多だろう。
御代は別になるが、別に許可していないわけじゃない。
部屋さえ汚さないで貰えたら、あと、刃傷沙汰にならなければ
別に良い。二階には今滞在しているのは彼だけで、物音が聞えないよう
人払いをかけてもらえれば問題ないが、あの人に釣り合うならば
そんじょそこいらの安っぽい女は無理だろうというのが唯一問題か。

(とりあえず、訊いてみるか)

少し早めの夕餉を仕度すると、汗をかいてしまったため着物を変える。
旅籠屋とはいえ、身形をきちんと整えることは再三母親に言われて
いるので冷や水で身体を拭くと、白地に紺の朝顔の文様といった
オーソドックスな浴衣に着替えた。
御味噌汁、漬物、焼き魚と山菜等決して豪華とはいえないが、温かみの
あるそれらを盛り付けて階段を昇る。
失礼します、と声を掛けて断り障子を開けると、丁度窓から外の
景色を見ていたらしい彼が振り返った。
赤い夕日に照らされて金色に染まる髪の毛や瞳が、絵画から抜け出て
きたようでそのまま融けてしまいそうだ。
この国の人は決して持たない光の色である。

「綺麗でしょ、俺も此処からの景色好き」

言って笑うと、彼も笑った。
本当に微笑みの似合う人だ。言葉は通じないが、此処数日少しずつ
意思疎通は出来るようになったようで、何だか嬉しい。

「今日の夕餉ね―――――と」

『そうやなくて・・・・・・若い旦那さんやろ?
 芸者さんでも呼んであげた方が好いんと違う?』

「そうだ、あのさ。芸者さん。分かるかな?女の人、
 綺麗なお姉さん、呼んだほうが良い?」

訊ねてみるが、何を言っているのか分からないといった顔をされてしまう。
そりゃそうだ。
如何説明したら良いのやらと思っているリョーマの目に部屋に敷かれた
蒲団が目に飛び込んだ。

(これだ!!)

男女が蒲団を共にしてすることといえば、文化は違えども何処でも共通の
筈だ。周りに大人が多いせいで、若干耳年増の彼は早速蒲団のところへ
歩み寄る。ついでに電球の光を落として、雰囲気を出しつつ
引き出しから香壷を取り出し、火を点し焚き付ける。
室内を花と白檀の香りが包んだ。濃密な夜の匂いだ。
男だけが部屋に泊まるときに女を呼ぶようにと言われるのは割と
よくある話なので、その手のものも一通り誂えている。

(これで分かるだろ!)

リョーマは不敵に笑って、ぽんぽん、と蒲団を叩いた。

「―――――――――――?」

「分かんない?寝るの。ねーる、オッケ?ほら」

ぐいっと手を引っ張ってとりあえず蒲団の上に寝かせてみる。
嗚呼、と漸く合点したように彼は手を打った。

「おっけー?よし分かった。俺がとびきりの別嬪さんを頼んで
 あげるよ。お金は別だけれど・・・・・・・・っ!?」

ぐいっ。

今度はリョーマが逆に引っ張られて蒲団の上に転げる。

「・・・・・・・・・・へ?」

「How wonderful…..I don't think you feel like I feel.
 I've thought you're cute and beautiful. Your meals were delicious.
 So I fall in love with you. Baby」

流暢な英語で言われてもちんぷんかんぷんだ。
リョーマが凍りつくと、にっこりと傾城の笑みで微笑んで、両頬に
接吻けられる。ひゃあ!と素っ頓狂な悲鳴をあげかけたのを必死で
堪えた。あれだ。これは文化の違いってやつだ。

(親愛の印だっけ!?)
拒否するのも失礼か、と思ったので何とかぎこちなく笑うと今度はその
端正な顔が近付いてきて

「んっ、むっ―――――!?」

唇をふさがれた。

(え!?えええ!?何コレ何コレも親愛??親愛か!?)

リョーマが混乱している隙に更に行為はエスカレートしていく。
舌を捻じ込まれて息も絶え絶えに酸素を取り込もうとすると、逆に
絡め取られる。

「ぁ・・・・っう・・・・」

いっそ噛んでやろうかとも思うが、その場合自分への精神的な
ダメージも深刻だ。ぞわぞわと肌を粟立てる感覚に力を奪われる。

(腰抜けそう・・・・・!)

異人は接吻が上手いとか、界隈で春を鬻ぐ女が言っていたがまさか
身を以て知る羽目になろうとは思わなかった。
漸く唇が離れたかと思うと、今度は浴衣の隙間から手が滑り込む。
直に肌を撫でられて、慄く。
未熟な精神が感じ取るのは快楽よりも何よりも恐怖のほうだ。
泣きそうになると、ぴたり、と胸を撫ぜる手が止まった。
一瞬だけ麗人は眉を顰めて

「Boy?」

と口を動かす。ボオイ?ボウイ?あ・・・・!

(女と間違っていたのか!)

女子に間違われるなんて恥もいいところだが、自分たちが西洋人の
区別なんてつかないのと同様彼らにとっても東洋人はみんな似たような
ものに見えるのかもしれない。今だって、自分は花模様の浴衣を
着ているわけだ。

「イ、イエス!そ、俺男!!」

ブンブンと頭を振って肯定しつつ、拡げられた浴衣をかき集めて
姿勢を正す。
助かった!と思った次の瞬間

「――――――ま、良いか」

聞きなれた言語でとんでもないことを言ってのけた。

「にほんご!?ってか、ええええええ!?」

がしっと帯を掴まれたかと思うと、力任せにそれを引っ張られて
蒲団の上に転がる。あれだ。よく時代劇とかで町娘が悪代官にされる
あ〜れ〜ってやつだ。
それって万国共通で男の浪漫なわけ?


暗転。














「・・・・・日本語できるの?」

腰が痛い。体中が痛い。
絶対もう飯なんか作ってやらない。やるもんか。
這うように一組の蒲団から抜け出すと、悪びれずに花のように微笑む
男を見る。

「a little――――あー、チョットだけ。まだ、難しい。
 今学習中だから」

「はあ・・・・・」

「僕、ハーフなんだ。えーと、お母さん?お母さん、が日本人。
 だからハーフ」

シュースケ、と形の良い唇が綴ってそれから自分を指差す。
名前か、とわかって渋々リョーマ、と自己紹介をした。
リョーマとしては無愛想に睨みつけた心算だが、彼にとっては上目遣いに
しか過ぎない。
目をキラキラと輝かせて

「cute!!」

「のわっ!?」

再び抱きすくめられる。

「ちょっ、触るな!ごはん!ご飯作らないからねっ」

「良い。ご飯より君を食べたい」

「アンタ実は日本語上手いだろ!!」

「no,no. I can't understand what you speak」

「都合のいいときだけ英語喋るな!」

なんだかんだで流されそうになる青い瞳は曲者だ。
視線を逸らそうと必死でもがいて、部屋の窓を見上げる。
彼の目と同じ色の空が一面に広がっていたので、リョーマは心底
疲労した。
遥か彼方、この人の国の空も同じ色をしているのだろうか?












リョーマさんが帰国子女なのはあれなので、逆に不二先輩をそういう設定に
しようと思いあれこれ妄想した結果何故か国籍までよく分からんことにorz
異文化コミュニケーション好きです。時代背景としては少しレトロ。
不二先輩が下宿していて、リョーマさんが二階へご飯を運ぶのとか
可愛いと思って。因みに英語はフィーリングで書いているので、
細かい間違い見つけても苦笑しておいてあげてください。
辞書?何それ。






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