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シュレディンガーの猫




「シュレディンガーの猫?」

聞いたことの無い名前に俺が首を傾げると、そうだよ、と先輩は反芻した。
少しだけ早く来すぎた部室、今此処に居るのは俺と不二先輩、
只二人だけで部長たちが到着するまでの間、他愛も無い話を
しながら時間をやり過ごしていた最中に彼の呟いた台詞だった。

「聞いたこと無いッス」

「そう、面白い話なんだよ。僕も、つい最近知ったのだけれど。
 密閉された箱の中に、一匹の猫と、放射性物質、粒子検出器、
 ガスの発生装置を用意してね。
 この検出器が若しも放射性物質から出た粒子を検出すると、ガスが
 発生して、忽ち箱の中の猫は死んでしまう」

難しい言葉の羅列に困惑すると共に、それでも猫好きの俺は良い感情を
抱くわけがなくて怪訝そうな顔を先輩に向ける。
それに気付かずか、或いは気付いていたのだろうか、
それでも彼は話を続けた。

「仮に、粒子が出る可能性が50%だとしよう。一時間後に箱を開けてみて、
 猫は生きている可能性が半分、死んでしまった可能性も半分、
 でも、それは果たして本当だと思う?」

「―――――違うんスか?」

「そう考えない人も居てね。箱の中には、非実存の生きている猫と、
 非実存の死んでいる猫の両方が存在するというお話。
 死と生とが、重なり合っている奇妙な空間が其処には存在するけれど、
 誰かが箱を開けた瞬間に一方の猫は消滅し、一方の猫だけが現実として
 存在する。誰かが、箱を開けた瞬間に決定してしまう」

「・・・・でも、猫は生きているか死んでいるかのどちらかしか
 無いじゃん。現実には」

気を悪くするかと思った先輩は俺の頭を、子どもにそうするように
撫でて越前は賢いね、と笑う。

「でもね、此方の方がより現実的だと僕は思うんだ。
 運命なんて、僕等の知らないところで既に誰かの手によって
 決定されているところが少なからずある」

先輩の言うことは、難しい。
部長とかも、難しい日本語を使って俺は偶に理解出来ないことが
あったりするけれど、不二先輩の話の難しさはもっと概念的な問題だ。
何が難しいって、きっと答えが中々導けないところ。
俺は、若しもこの話を10年後まで覚えていたとしても、答えを
導けるのかと問われたらまるで自信が無かった。

「越前は、僕を如何思う?」

不意に訊ねられた質問の意味が分からなくて、俺はもう一度ゆっくりと
質問を呑み込んだ。先程までの問答が、嘘みたいな日常のありふれた
会話の一つのような質問だ。

「如何って」

但し、これも答え方がよく分からない。
首を傾げると、先輩も首を傾げて、ううん、そうだね、と言葉を
探しているみたいにも見えた。

「じゃあ、嫌い?」

「まさか」

変わった人だなという認識はあるが、それが嫌悪感に通じたことは
一度も無い。テニスの腕前じゃ尊敬しているし、その下らないくらい
無駄に幅広い知識も面白いと思っている。
それから、綺麗な人。
日本人なのに天然で栗色の髪の毛も、白皙の少し冷たい印象を与える
美貌も、灰青色の眸も、薄い唇も。

「じゃあ、好き?」

「―――――はい」

今度は少し間があった。
それが何の躊躇なのかは、自分でも良く分からなかったけれど。
先輩は俺の答えを受けて、微笑む。
微笑があまりに艶やかで綺麗だったから、男の自分でもつい見蕩れて
しまいそうだった。

「ならば、君に一つの切っ掛けをあげよう」

塞がれた唇は、表面を重ねただけで温かさも冷たさもないままに
あっという間に去っていく。
何を、と訊ねる隙すら与えないように悪戯な視線だけがあった。
スッと先輩の指差す先の部室の扉は何時の間にそう仕組まれたのか
鍵が掛けられている。

「手塚たちが此処に着くまで、後10分弱といったところかな?」

手元の時計を見詰めていう彼に、震えた。
怖い、とかそういう感情でなくて、これは。
切っ掛け一つで決定されてしまう、選択。
曖昧なままだった感情の答えが、先輩の一度きりの行動によって、
箱は開かれ、俺は眩しいくらいの外界に放り出される。
日差しを目の当たりにする。

「さあ、君は如何したい?」

開けられた箱、その中で果たして俺は呼吸をしているのだろうか。












サイト巡りをしていて知った話なんですが、wikipedia参照に。
あんまり上手いこと説明できていないかもなので、気になれば是非調べてください。
私は猫好きなので、最初猫使うなやコラ!と思ったのですが、話的には凄く面白い
話だと思いました。きっかけがあるまで曖昧なままのことなんて、幾らでもある。
不二リョで書いてみたかったわけで。









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