空は、生憎の曇り空だった。 時折零れる雨に誰かが涙雨だと言った。 多くの生徒が集まりだした体育館はざわめきが絶えない。 爪先に、響く床の冷たさに指先が鈍く痺れた。 こんな日に、彼はどう思っているのだろう。 先生の注意もあって、シンと静まり返った館内に やや神妙な面持ちで卒業生が入場してくる。 ちょうど席の配置が真中になったオレからは 周りの人の頭越しに漸く彼らが見えるくらいだ。 よしんば先輩を見つけられたとしても、彼がオレに 気付いてくれる可能性を思うと大変に低い気がした。 男女が綺麗に並んで、入ってくる。 堂々と入場するものもいれば、もう泣きかけている 女子生徒も居る。 先輩ならばキッと前を見据えて入ってくる気がする。 何故だか、そんな気がしてならないんだ。 入学式と同様来賓や校長の話は大して面白味も無い上 長くて、眠たくなった。 要約すれば、おめでとうってコトになるのだから さっさとソレだけ言えば良いのに。 自然と目線は足元に落ちる。 襲い掛かってくる眠気に身を委ねようとも思ったけれど 先輩の顔がちらついてどうにも眠れない。 卒業。 なんておめでたい事ぢゃないか。 その証拠に誰も彼も『御卒業おめでとう御座います』って 繰り返しているのに。 オレは明日がきても、明後日がきても此処で 何食わぬ顔をして大して変わり映えの無い毎日を 送るけれども。そうに違いないけれど。 明日が来れば、先輩は居ない。 クタクタになるまで繰り返していた部活動を まるでついさっきのことみたいに反芻した。 明日が来るのは、喜ばしい事で。 オレは、今日出来ない事を出来るようになるかもだし、 もっと強い選手に巡り会えるかも知れない。 考えると、本当にワクワクする。 未来が来るのは、当たり前の事で。 なのに、ずっと靄がかかっているこの頭を 誰かにどうにかして貰いたい。 隣の列から、スンと鼻を鳴らす音が聞こえる。 頑なに手を握りしめて泣くのを堪えている人も居る。 オレは、泣きたいとは思わなかった。 だって、実感がまるで無い。 明日から、三年生が居ないんです。 明日から、先輩が居ないんです。 なんて簡単に呑みこめる筈も無い。 膝の上に結んだ手に爪がくい込むのを感じた。 ブラスバンド部の前奏で、定番の曲が始まる。 暗記を得意としないオレもこの日の為に 音楽の先生にイヤになる位練習させられた成果か スラスラと口から歌詞が出る。 難しい言葉の羅列に、あまり意味は分からないけど いつもより少しだけ口を大きく開けた。 忘れないでなんて死んでも言えない。 そんな高慢な事オレには言えないけれど 思い出してって言ってみようか。 時々で良いから、オレのこと思い出してみて。 自分だけ、こんな鮮やかに思い出に進入するなんて やっぱりアンタは油断ならないんだから。 徐々に消える伴奏に、何だかひどく寂しさを感じた。 人の記憶もこうなのだろうか。 会わなくなったら、忘れてしまう? 距離は、心の距離になる? 何処かで会ったら久しぶりだとか 今と変わりない笑顔で言ったりするんだろうか? 大切なものは必ず残るっていうのならば、 この手にアンタは残るのだろうか。 零れ落ちずに色褪せずにきちんと。 この気持ちに名前を付けることがどれほど 容易い事なのか位は、理解して居るから。 幼いわけぢゃ無い。 拙くも無い。 オレは、卑怯なんだ。 本当は、オメデトウゴザイマスなんて言いたいんだよ。 嘘っぽい笑顔でイイから。空言でいいから。 頑張って下さいね、とか送りだしたいんだ。 何も永遠の別れって訳でもないんだし。 なのに出来ないっていうんだから、分かるだろう。 明日が、ずっと来なければ何とかなるのか。 そんな事本当はどうだって良いに違いない。 退場していく卒業生を、たくさんの拍手と演奏が包み込む。 手が痺れてしまうくらい大きく 大きく拍手をした。 この手で、手を打つことではなく 先輩を引き止めることが適うのならばどれほど良いか。 部活動の、打ち上げがある。 嫌でも先輩と顔を合わさなければならない。 溜まった荷物以上に向かう足取りが重たい。 けれど、此処で逃げ出すわけにもいかないんだ。 「越前」 不意に掛かった、あの声を聞き間違う筈が無かった。 我が耳を疑ったのはこんな所で会うなんて思いも よらなかったからで。 平気な顔をして振り返ると、卒業証書を片手に 先輩が笑う。 こんな姿も見る事はもう無いんだ。 「部室に行く途中?一緒に行っても良いかな?」 跳ねる心臓に、冷静を繕っていいですよ、と返した。 「さっき、泣いたりしなかった?」 「しませんよ。何で」 「僕が、卒業して悲しい。とか」 「まさか」 冗談でも、そんな確信めいた事いうのは止めて欲しい。 渇いた唇を舐めた。 悲しくない訳は無いし 最後だから最後くらいは素直に悲しいとか寂しいとか 先輩の事が、好きだったとか言ってやろうかとも 思ったけれど。怖くて、止めてみた。 「君は、いつでもそうだよね」 「え?」 「僕は、悲しいよ。」 「―――」 「君と、会えなくなって寂しいからね」 オレたちと、の間違いぢゃないですか? 駄目だってば。そんな言い方。 誤解したらどうするんだよ。 呆然と、先輩を見たら千切れた学生服の釦に目が止まる。 どうしたの、ソレ。と聞いたら少し困った顔をして 女の子に千切られちゃった、と言った。 そういえば、人気あるんだよね。 別に、口惜しいなんて思わないけれど ちょっとだけ羨ましくなった。 思い出は、それ以上の価値がないのに。 オレなら、その釦よりも何よりも 先輩のほうが、欲しい。 本当にくれるのならばね。 「こんなモノ、何処が良いんだろうね」 「さあ。でも、確かに思い出って必要かもしれませんよ」 「どう云うこと」 「つまるところ、その釦は先輩の代用品なんっすよ。 欲しいのは、先輩だけれど。手に入らないから」 「ふうん、そっかぁ・・」 そういう心理なんだね、と感心したみたいに先輩が頷く。 この分ぢゃあ、きっと本当に納得している わけぢゃあないのだろう。 この人お得意の、相手に合わせているようで自分を 守る仕草に気付いたのももうかなり前だ。 「・・・オレも」 小さく呟いたオレの言葉に、何?と先輩が先を促す。 「先輩の、釦欲しかった」 いくら何でも、言葉の意味するところに気付くだろう、 これは。 会話の流れからして、気付いてくれるだろう。 それで無くとも、敏い先輩のことだ。 気付かないはずが無い。 これで、気付かないならば明らかな拒絶で。 気付いたとしても、若しかすると何事も無かったみたいに オレの事扱うかも知れない。 でも最後なんだ。 最後だから。 コレ位の事どうか許して。 蓄積されて今にもどうにかなってしまいそうな とうに許容量を遼に超えている 想いを残さず持ち帰って欲しいだけです。 スッと、髪の毛をかきわけて差し伸べられた手が 頬に触れる。 次に、発せられる言葉への覚悟に身構えた。が。 次の瞬間、目の前にあったのは先輩の端整な顔で 今まで見たことも無かった位の至近距離で 目と目が一瞬だけ合う。 色素の薄い、その眸の放つ光彩や。 やや切れ長の目筋から、綺麗に生え揃う長めの 睫毛に見惚れる間も無く。 軟らかな、憶えの無い感触が唇に触れて それが接吻けだと知覚するまでには少々のブランクがあった。 ポカンと一体如何いうことなのか分からず 先輩を見上げると、 「思い出よりなんて不確かなものよりも、断然 イイでしょう?」 なんて、平然と言われた。 そりゃ、そうだけど。 それって、つまり。 都合のいい解釈してしまいそうなんですけど。 「越前を思い出にするつもりなんて毛頭ないから。 勝手に僕を思い出に帰したりしないで」 最初聞いたときは、聞き間違いかあるいは オレの願望か疑ったけれど。 差し出された手に触れて、漸く泣く事が出来そうだった。 貴方が居ない明日が寂しくて、ならない。 運動場にさしかかって途切れた天井からは 薄い雨が落ちる。 涙雨、なんてよく言ったもので。 譬え、オレが今泣いているとしても先輩からは 雨に濡れているようにだけ見えればいい。 卒業のシーズンだなと、思いまして凄い勢いで書き上げた一品(笑) 王子⇒不二っぽいのですが、王子の片思いはやるせないので。 卒業生の方、御卒業おめでとう御座います。 |
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