寒い夜だった。 只管に寒い夜だった。 きっかけは些細なことで、でも何かが変わるきっかけなんて大抵は 大したことじゃないことを僕は永くない人生の中で何となく悟っていた。 それが仮令喧嘩であり、戦争であり、小さいことでも大きなことでも 積もり積もって蓄積したものがある日風船に小さな針を 刺したみたいにパァン、と弾けるのだ。 そう、だって今日もいつもと変わらない日常だった。 いつもと変わらない日常の筈だった。 僕は今日の日直で、日誌を書くのに手間取ってしまいあまり遅くなるのも 危ないからと先に同じ当番の女子を帰らせ、職員室に持っていったそれを 渡し、帰路に着く最中だった。 「先輩」 不意に呼び止められて振り返る。 越前、声に出すと相変わらずの表情で彼は小さく会釈する。先輩、という 言葉の響きが何だか懐かしいような気がして少し感傷的な気分になった。 引退してから、何ヶ月になるんだろう。 もう、此処で彼と一緒にプレーをすることはないんだ。 「日直ッスか?」 「そうだよ、越前は?」 「俺は、練習の帰り。もう大分暗くなったし」 「そうだね。冬は日が暮れるのが早いから。 送っていくよ、一緒に帰ろう」 「女子じゃあるまいし・・・」 女子じゃなくても、彼なら結構な確立で危ないと思うんだけれど。と 口に出かけた言葉を寸でのところで飲み込む。僕も成長期の前には 散々からかわれた経験があるが、越前もその整った容姿はどちらかと いうと少女めいている。暗闇だと尚更だ、この町は比較的平和といっても 物騒な噂は時折耳にするのだから。送っていくよ、と再度念を押すと、 じゃあ、と渋々といった風に越前が頷いて僕は笑った。 こうして一緒に二人で帰ったことは、数える程しかないけれど若しかして これで最後になるのかも知れないななんて思うと何となく空を仰ぐ。 東京でも星は見えるらしい。 この時期特に眩いネオンの光に押されていても、微かに光る星の光に どれ程の人が気付くことだろうか。 「最近、部活はどんな感じ?」 「別に・・・・あんまり変わらないケド。でも、先輩たちが主力だった じゃないスか。やっぱり、何か違う」 「そっか、そういう風に思っていてくれると嬉しいな」 「・・・・・・ホントのことじゃん」 越前の言葉はストレートだ。好きも嫌いもハッキリしていて、どうも この国には溶け込めず当人は苦労していると一度愚痴をこぼしたが、 僕はそのストレートな物言いが実は気に入っていたりした。 『だって、僕はこんな人間だから。 越前は信頼できるよ、裏表が無くて、ハッキリしているから』 そう告げたことがあった。 だって、僕はその言葉どおりに曲折して包み込んで真意を見せないことを 得意としていて、それを別に悔やむ心算も変える心算もひとつも 持ち合わせていないけれど、そのとき確かに羨ましかったんだ。 自分が決してなり得ない、彼の生き方。 商店街はきらきらの装飾に囲まれて、どこもかしこもクリスマスソングが 流れている。アーケードの中に入れば星はもう見えない。 そういえば、と思いだす。 「越前、もう直ぐ誕生日だったね」 彼の誕生日、12月24日。記憶していたそれを話題に出したときの、 越前の反応に普段目敏い僕は、うっかり気付かなかった。 「クリスマスイブか。特別な日って感じで良いよね」 「・・・・・・・・覚えているの?」 「覚えているよ。当たり前」 「・・・・・・・・・・・・・んで?」 「え?」 呟かれた言葉が雑踏の中で聞き取れず、問い返す。なんで、と越前の 唇が形作るのをスローモーションのように見ていた。何で? 何で、って。彼が俯く。 「越前!!」 駆け出した彼に続いて、考える間もなく駆け出した。 何で、何で? そんなの僕が聞きたい。 怒らせるようなことなんて何も言っていない。 けれど、追いかける。追いかけなきゃいけないと思った。 カップルだの友人同士だの家族連れだので賑わう商店街で脇目も振らず 走り抜ける少年を行き交う人々が一瞬見て、また目を戻す。 嗚呼、僕たちはどんな風に映っているんだ? 友人同士の戯れとでも思われているのだろうか、迷惑な鬼ごっことでも。 それとも、僕が苛めているように?心外だ、と思いつつ目を離さないように 必死で前を見る。唇がピリピリ、と痛み愚行と思いながら加速させるのに それを舌先で舐める。嗚呼、もう、何が何だか。 越前の瞬発力は大したものだと乾が言っていたことを思い出した、何も こんなときに思い出さなくても良い事実を僕はこうして突きつけられて いるのだというのに。 けれど持久力は、間にある2年の差なのか僕の方が持つ。 だから確信めいて、彼に近付いているのだとそれだけで足を進める。 寒いのか暑いのか分からない、独特の不思議な感覚。 肌を切るような寒さでありながら、内側から温められていく。 部活を引退してから少し、鈍ったのだろうか。 息が切れる、否、相当な距離を走っているのかもしれない。 人にぶつかり、謝り、繰り返してネオンの光が途切れる。 商店街の出口、一瞬途絶える人の波、そうして掴んだ手。 「越前!!」 怒られた子どもみたいに彼は身を竦めて、一瞬の罪悪感に襲われた。 理由も何も分からないままに、怒ったのだろうか、傷ついたのだろうか。 心当たりがない、それが僕の無神経さなのかもしれない。 如何したの、怒ったの。 荒い息を肩で整えながら、辛うじて問いかける。咽喉が痛い。 越前は首を振った。俯く彼の表情は見えない。 すっぽりと口元まで覆ったマフラーが更にそれを読み取ることを拒む。 言ってくれなきゃ分からないなんて僕らしくない発言だ。 はっきりと口に出さないのも彼らしくない行動だ。 らしくなさに包まれて、立ち尽くす人通りの中で、らしいって何だ。 僕は彼の何を知っているんだと自問自答する。 先輩、と小さく聞こえた。 「なんで・・・・・・・・なんで、先輩が。 そんなことを、言うの」 何で、何が。 聞きたいのは僕のほうで、伸ばしかけた手を止める。 戸惑わせるだけの力が働いていて、それを僕は決して経験したことが ないわけじゃなかった。それに勘付いたときに、このシチュエーションも 言わんとしていることも突如確信めいたものに変わる。 がらりと何かが崩れ落ちる。 何度も経験則で理解していた、相手が意外だったなんて言い訳めいた コメントをする心算もない。 確信を持った、その時点でつまりは僕の中で長らく其処に位置していた のだろう。 自慢じゃないけれど、人の気持ちを汲み取るのには長けたほうだ。 これを言ったら如何なる? この関係は如何なる? それだけは幾ら経験則でも分からない。 僕の方が先に気付いて告げて泣かれたこともあった。 怒られたこともあった。素直に頷かれたことだってあった。 越前は?越前なら?そのどれもに一致するような、しないような 改めて自分たちの立つ足元の不安定さに酔いそうになる。 気付いたのは僕で気付かせたのは君で、そうなると分かっているのだろう。 彼のほうも。 気付いてしまった以上知らない振りは出来なかった、通り過ぎることが 出来なかった、だって追いかけてしまった。振り向かせてしまった。 越前、とゆっくりと紡ぐ。 嗚咽を堪えるように唇を噛み締めて、キッと前を見据える眼差しに 心臓まで射抜かれる。冷たい、凍えるような冴え冴えとした凛と 透きとおった瞳に揺れる熱が背筋を駆け抜ける。 「――――――僕のこと、好きでいてくれるの?」 ああ、もう戻れない。 両思いなんですけれど、自覚するきっかけと言うか意識するきっかけと 言うか。不二先輩は兎も角、リョーマさんは疎そうだからそれと自覚 した途端逃げることを選んじゃうというのもありかな〜と。 リョマさんは当たり前に自分の誕生日を記憶していた先輩に、どきりと したんだということで。好きになったのは、多分先輩が信頼云々の話を したあたりです(笑) 追う先輩と追われるリョマさんの図が書きたかったのです。 ひさしぶりにまともな不二リョを書いた気が(笑) 星も凍る夜って季語らしいんだけど、綺麗な言い回しだな〜と思いました。 |
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