ごとんごとんと落とされた注射器は医療器具として扱うには少々 大きめのサイズだ。それら全てに余すことなく赤黒い液体が ぎゅうぎゅうに詰まっていて、いっそのこと現実味が無い。 平生なら嫌悪感すら抱くはずのそれらに、けれどこの日は吸い寄せられる ようにふらり、と近付く俺にそれを運んできた当人である彼は笑った。 そう、笑った。 まるで、ペットに餌を与えているようなそんな優越感と慈愛に満ちた笑み。 生まれて多分100年もは経っていない。 成人体になりきれていない身体、意識を持ったのはいつだったろうかと 思ったが指折り足りるものでもなく自分の歴史に然程の執着があるでも なく直ぐに止めてしまう。 さきの大戦のときは楽だった。 毎日のように人間が息途絶え、疫病も、それに乗じた犯罪も、 そして腐臭を辿ってくる魔物もまた増えたけれど俺みたいな連中が 生きるのには楽だった。 それは得物が手に入りやすいというのと、俺の場合は違っていて言い方は 悪いが死体からであれば罪悪感無しに血を失敬することが出来る。 人間で言うところのヴァンパイヤとして、生を受けて。 後悔ばかりだ。 後悔しない日などない。 生物の本能、食欲、けれど俺はどうしてか他の仲間たちよりも随分と 人間に近い感性を持っていたがために人を傷つけることが出来ず、 幾度かそれで生命の危機に瀕したことすらある。 花の精気、動物の血、凌げないことはないが一時的な気休めだ。 だから出来るだけ大きな都市に身を潜めて、血の臭いを辿り死体を見つけては 少々の血を失敬する。ハイエナのようだ、浅ましい、泣きそうになる、 吐きそうになる、それ以上に腹が空く。なんて醜い生き物。 その夜も、いつものように近くで血の臭いを嗅ぎ付けてそちらに 向かったところだった。珍しい、若い女の血のにおいに神経が 惹きつけられる。 腹を空かせていた俺は、失念してしまっていたのだ。 被害者と思われる人間のもう今となっては途切れてしまった気配と もう一つ別の気配がまだ佇んでいたことに。 「幾つくらいが好みだとか、何型が好みだとか、そういうのはあるの?」 「・・・・・別に」 「よく映画や漫画とかじゃ若い女性が狙われるじゃない。やっぱり、 君もそれが良い?」 そりゃあ、どちらかといえばそうだがこの男に何か言うと途端にそれを 真に受けて全て実行してしまう。だから、俺は何でも良い、となるべく 素っ気無く答えることにした。 「今回のターゲットは30代くらいの女性だったけれど、君の好みさえ 分かれば」 「ターゲットは変えられないでしょ」 「うん、だからターゲット以外に見繕って・・・」 ぎゅ、と彼の手を握る。珍しく俺が見せた反応に彼は瞬きを繰り返して やがて破顔した。御免御免とたいした重みも無い言葉を落として、 ついで手の甲に口付ける。そしてそれに俺は抗えない。 爪の先まで、髪の毛一本まで、生かされているのだから。 「リョーマは優しいから、そんなこと望んだりしないものね?」 コントラクト・キラー 殺し請負人、見た目だけならどちらかといえば中性的な優男にも 関わらず彼と出逢ったのは凄惨たる殺しの現場だったことを 忘れそうになる。その一歩手前で警告のように残忍性を覗かせる。 無邪気な子どもなのか、世を儚む老人なのか分からないような素振りで 世の中にも自分にも絶望していたのだと何故か過去形で言う。 腹を空かせた俺に得物を与えるのはこの人だ。 定期的に住処は国を変え、町を変え、放浪するものの全世界に ネットワークを持っているのかパソコン一つで依頼を受けては 涼しい顔でそれを実行し、まるで土産のように注射器に詰まった血を俺に与える。 凄惨たる現場も、こっ酷い傷口も過去は知らないが現在はある種 コレのためのカモフラージュなのだろう。 警察に調べられても、出血と失血の誤差が分からぬようにと。 「いや・・・・・・・・・・・・・・だ。 もう、厭。・・・・・・・・人を、傷つけるなんて・・・・」 目の前に突きつけられた液体、わざわざご丁寧に高そうなワイングラスに 注がれてギャップに眩暈がする。吐き気と耳鳴りと、心が拒否しても 本能が求めるその痛みに嗚咽を洩らす俺を叱咤するように、彼はワイン グラスを近づける。 「飲まなきゃ、身体が持たないだろう」 「でも・・・・・・・・・でも、厭だ。いや、いや!」 「――――――人間も多かれ少なかれ血で出来ているんだ。誰が今日の ディナーに出てくるメインディッシュの子牛を思って涙する? 優しいね、リョーマは優しい。僕が見てきた誰よりも優しいし、綺麗。 だから、ねえ、僕は君に生きてほしいんだよ」 「アンタは、俺を利用しているだけだ。 自分が人を殺す理由に、俺を使うんじゃない」 大きく開けた唇にグラスを添わせ流しこむ、しまったと思った瞬間には 咽喉に熱い液体が流れ込んだ。噎せるがそれすら許さないというふうに、 押さえ込まれる。 これを、 欲しないわけじゃない。 少なくとも身体はいつだって渇望して、人よりも獣に近い俺たちは 本能に支配されて雁字搦めになって生きているのだ。 一度口にしてしまえば後はもうなし崩しだった。初めこそ抵抗したが、 終いにはグラスを奪って自らの手でそれを口に注ぎ込む。 満たされていく食欲と真逆に、渇いていく心、否、元より俺たちに 異形の生き物に心の在り処なんて求めるほうがどうかしているのか。 それともこの男の言うとおりに俺の方が異質なのか。 すっかり空になったグラスを見て満足そうに口元を綻ばせる、 項垂れる俺のことなどお構いなしに鼻歌すら口ずさみながら空に なった注射器を流し台に無造作に投げ込む。 「美味しかった?ご馳走様は?」 サファイアのような瞳、蜂蜜ゴールドの髪の毛、薔薇色の頬、 珊瑚色の唇、アンティークドールを思わせる美貌と子どものような 無邪気さと残酷さを兼ね備えた人間。小さな声で饗宴の終わりを告げた 俺に殊更満足したかのように今度は得物である少々大振りのナイフの 手入れを始める。 「化け物は僕のほうが相応しいよね」 何てこと無いように考えを見透かす、そう、あまりにも似つかわしすぎる 台詞は白々しいどころか返ってそら恐ろしい。 同名の本とは一切関係ないです(笑) 不二先輩はさらりとこういうことを言いそうで、また違った怖さがあるというかw 彼なりに吸血鬼さんが愛しくて仕方が無くてこう愛情表現が屈折してしまうというか リョーマさんが居れば他に何も要らない!な方向に行くんだと思ってください。 |
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