君が全くの別人に来世生まれ変わったとしても、莫大な人口の中から、 それでも君を見つけ出すことが出来ると、事実やデータがあるわけでもなく そんなことを思っていた。 一度口に出すと、大きな眸に僕を映して瞬かせるとロマンチストだと 言う。人は、皆恋をすればロマンチストになるんだと僕は反論する。 他愛もないやりとりの度に、君をどれ程好きなのかを自覚する。 過信でも自惚れでもなくて、君が何処に居てもどんなに変わろうとも 君が君で在る限り、そう思って居たんだ。 ベンチの横に腰掛けると、伺うような視線を寄越した後あの、と重たい 口を漸く開いた。 「不二、先輩ですよね」 「ああ、うん。・・・・・・・・・もう、大分覚えた?」 不二の問いかけに曖昧に笑うリョーマに、不二も極めて対外的なアルカイック スマイルで微笑んだ。 本心を決して見破られないような、笑い方は親しい人間に見せるものじゃない。 不特定多数に向けて見せるものと同一のもので、以前の自分たちの間柄を 知っている人間からすれば酷く奇妙な遣り取りに見えるだろう。 「菊丸先輩から、聞いたんで・・・。 以前、仲良くしてくれてたって。何か、スイマセン。 こんなことになって」 「・・・ううん、気にしないで。 それより、まだ混乱することも多いでしょ? 早く落ち着けると良いね」 (英二め・・・) 仲良く、とは上手い表現だと思った。 上手くはぐらかして逃げている。それは嘘でもあり、真実でもあり 嘘ではないし、真実でもない。 ありがとうございます、と些かホッとした顔をしたリョーマに、 そういえば出逢った当初はこんな顔を見ることが多かったと思う。 緊張しているのか、と分かってしまった。 自分に纏わる記憶を失くして、一番混乱しているのは当の本人で あるだろうに自分が一番不幸だなんて思うのは間違っていると 分かっているのに。 「ごめん、一寸用事があるからさ」 席を外すために立ち上がったら、握り締めていた掌の指先が、すっかり 白んでいた。 「お前、それは勝手だろー。 大体、お前がおチビ好きになったのって、可愛いから〜とか そんなんだったじゃん。ひでー男! 一番辛いのはアイツだろ」 近くのコンビニで購入してきたポテトチップスの袋を抱えて、パリン、 小気味良い音を立てながら菊丸は屋上からグラウンドを覗いた。 昼休みということもあって、かなりの人数が外に出ている。 最も、屋上は三年生の彼らのテリトリーと言うことは暗黙の了解で 知れ渡っているため訪れる人物は中々居ないけれども。 「最初はね。 でも、本当に惹かれていたんだ。 自分でも、酷いこと言ってる自覚はあるけれど」 「おチビはおチビじゃんかぁ。 そりゃ今はちょっとしおらしくなってるけど。 前は猫ちゃんで、今は雛みたいな?」 「――――――そうなんだけれど」 少し長めの髪の毛をかきあげる仕草で、溜息を落とした。 「僕にとって、越前は唯一無二のものだったんだよ。 あの見た目も、性格も、仕草も全部一つ一つかけがえがないもので、 それで越前リョーマだった。 僕は、そんな越前だから好きになった。 仮令彼が生まれ変わったとしても、見つけ出せるくらいの自信があった けれど、それは越前が越前だからという仮定だよ。 ・・・・・・・・・・・・・・今の彼は、僕の知らない人間みたい」 「分からなくもないけどね」 はい、とポテトチップスを押し付けられる。 菊丸なりに慰めている心算なのだろうか?と其方を見るといつになく 真剣な眼差しとぶつかった。 「じゃあさ、お前にとっての越前リョーマの定義ってナニ?」 ――――――――――いっそのこと、全くの別人であってくれたほうが 未だ諦めがつく。時折見せる表情や仕草が、完璧でなく、微かな相違性を 以て目に映る。それが、辛い。 そんなことを、思う自分が余計に。 理屈じゃ分かっているのは、何より本当ならば自分が支えてやらなければ ならないということだ。けれど、本当に自分たちの関係どころか自分の ことすら碌に思い出せていない現状で、それでなくとも周知の関係でない 関係を告げるのはあまりに酷だと思ってやめた。 それすら、本当は自己保身だったのかも知れない。 「酷い男だって思ってるでしょ」 「うん」 さらり、と溢した悪友に苦笑する。君も充分酷い男だと思うけれど 君は僕と違って正直に生きているからね。 「俺ってさ、お前に負けず劣らずロマンチストなワケよ」 「うん」 「だから、不二とおチビちゃんの関係もこんなことで終わるなんて 思っていないから」 きっぱりと告げる口調に迷いは無い。 瞼を閉じて浮かんだ虚像があんまりにもはっきりとしすぎていて、 余計に切なくなる。 菊丸は、そういったが実際に如何したものかと思いながらそれでも 習慣で図書室に向かう。よく委員会でリョーマが遅くなったときに、 迎えに来た場所だ。 あの頃は、まさかそれを懐かしく思う日が来るとは思ってもみなかった。 ドアを開けると、ジャンル別に分類されている書物の戸棚から適当な推奨 純文学を引っ張り出して席に向かう。 何かに追われていないと、どうしても思考は彼に偏ってしまって、 その度苦しくなるからなるべく何かをしているほうが良い。 そう思って、いつも座っていた席に向かう。 少し入り込んだ場所にあるため、入口からの人目につきにくくあんまり この席に気付く生徒はいない。不二は、其処を好んで使用していたのだが、 今日は人影があって溜息を吐く。 (仕方が無い、他の席に・・・・・・・・・) 行こうとして、ドキッとした。 「越前・・・・」 「・・・・不二、先輩」 小高く積んだ本に囲まれていたのは、今し方まで自分を悩ませていた その張本人だったからだ。 「その本・・・」 「あ―――――、ハイ。何か、治るヒントないかなって。 こんなので見つかったら、苦労しないッスけれど」 家庭用医学の本やら、保健の本やら。 中学校の図書室にある本の種類なんて限られているが、その中でも医学書を 中心にかき集めている彼の意図は直ぐに見てとれた。 「記憶のこと」 「やっぱり、そりゃ気にならないって言ったら嘘になるし・・・・ 皆さん、俺に良くしてくれますけど本当は俺じゃなくって、 越前リョーマ、に戻って欲しいんだって。分かるから」 「――――――」 それは、不二も思っていたことだ。 だから、反論出来なかった。リョーマは、良いんです。と短くしかし 確固とした声で言う。 「でも、実を言うと少しだけ。怖い。 俺だって、記憶を取り戻したいけれど、それって今の俺は消えて しまうかも知れないってことですから。 案外簡単に人間の記憶って失われるみたいで、だから今日のことも 覚えている保障は何処にもないでしょ」 「越前」 リョーマは。 リョーマは、自分の弱いところを簡単に見せる人間じゃなかった。 苦しんで、苦しんで、痛みに耐えてでもそれこそ倒れるまで決して 屈しない。そう、思っていた。 少なくとも、不二が見てきたリョーマはそんな人間だ。 『じゃあさ、お前にとっての越前リョーマの定義ってナニ?』 耳の奥でリフレインする言葉に、急に頭から爪先まで冷やされる 心地がする。 本当に? 本当に、そうなの? 僕は、越前を総て知っている? そこまで、彼を理解している? 僕と居る越前。 友達と居る越前。 家族と居る越前。 一人で居る越前。 それが総て同じ表情をしているとは限らない。 自分が彼の前では見せない表情、そして彼の前でしか見せない表情が あるように、彼にとっても自分には見せない表情、自分にしか見せない 表情があったはずだ。 何をもってして、僕は越前を越前だと位置づけていた? 今目の前に居るリョーマは、随分と頼りない表情を見せる。 思わず、ハッとした不二を見透かすようにして、スイマセン、と彼は 追い討ちをかけた。 「俺、聞いたんです。だから、知ってる。 俺と先輩がどんな関係だったのかも、知ってて、こんな泣き言言って、 卑怯でしょ?」 困ったように、呟くと少し顔を俯かせた。 止めてよ、そんなの。 卑怯なのは。 「・・・・・・・・・・・・・え・・・・・・」 ふわり。 としか形容しがたい感触に包まれて、落としていた視線をリョーマは 上げることになった。それから、今自分があるのは不二の腕の中で、 彼に抱きしめられていると気付くのにそう時間は要さなかった。 「せ、先輩!?」 記憶を失くす直前まで、自分とこの人が所謂恋人同士の関係にあったと 教えられたのはつい先刻のことだ。菊丸先輩によって。 それを知って、驚いたがそれよりも何よりも、不二が向ける視線に 含まれる淋しさの理由が分かってしまった。 俺は、この人を一人ぼっちにしていたのかと知ってしまった。 「――――――やっぱり、嫌?触れられるのは、気持ちが悪い?」 「そんなことは、無いけれどっ・・・・・」 「けれど?」 「し、心臓が、苦しい、です」 言ってから、はたはた、と自分の制服に落ちる雫に気がついた。 「先輩?」 泣いている。 長い栗色の睫毛から、芸術品みたいに憂いを帯びた眸から音もなく 零れ落ちる雨垂れに、一瞬息をするのも忘れてしまった。 最初に感じた、冷たいというか敢えてそう努めているような冷ややかな 印象と掛け離れた仕草に呆然とする。 正直、驚いたのは驚いたのだ。 まさか、記憶を失くす前の自分が同性と付き合っていただなんて 吃驚するのが当たり前だ。けれど、それで同時に納得もした。 だから、この人は俺よりずっと泣きそうな顔をしていたのだと。 不思議と嫌悪はなかった。 それよりも、漸く何かが戻ってきたようなそんな温もりに安堵すら 覚えた。 「泣かないで、ください」 「―――――僕は、越前が好きだ・・・・」 「はい、でも、先輩。それは、どうか、俺に言ってください。 本当の、俺。記憶が戻った越前リョーマに」 「君も、越前だよ。確かに」 「え・・・・・・・」 思わず、我が耳を疑ったのはずっとこの人が一番今の自分を否定したい と思っていたからだ。 それもそのはず。 彼の愛しているのは、本当の、そう記憶を失う前の自分だと思って。 「君も、越前だ。僕が未だ知らない、これからゆっくり知っていく筈の 越前の一部分。僕が、君を、見紛うわけがない。御免ね」 「――――――ッ」 「好きだよ、君が、好きだ」 「ダメ、です。だって、だって、俺は・・・・」 声が震えるのが、自分でも分かった。 泣いちゃいけない、それでも、せめてそれが最後の砦であるかの 如くに。 「忘れちゃう・・・・先輩のことも、こうして言われた言葉も。 今は、ただの仮初だから。元に戻ったら、忘れて・・・・」 抱きしめる力を強くする。 意識したことなんて、なかったけれど嗚呼なんて儚い生き物なんだと 思い知らされた。腕の中にすっぽりと埋もれてしまう肢体、 綺麗な形の耳、鼻腔を擽る淡いシャンプーの馨り、何一つ変わらない。 「良いよ、君が忘れても僕が覚えているから。 君が忘れても、何度も何度も言ってあげるから」 「せんぱ、い」 「越前が、好きだよ。ずっと、好きだったよ。 これからも、変わらず君が好きだから。 何処にも行かないで、此処にいて」 こうして間近で見ても、不二周助という青年は何処か作り物めいて 綺麗だった。淡い灰色を帯びたような蒼の眸は、表面に涙を湛えていて それを掬い取るように手を伸ばす。 知っている、この眼も。 この人も、俺は。 「先輩。不二先輩、泣かないで」 「うん、御免。御免ね。ずっと、一人にしてしまって」 「そんなの、俺のほうこそ、ごめんなさい」 「ううん、僕が」 「いえ・・・・って、埒があかないですね」 照れたみたいに、苦笑したリョーマに今度こそ心から不二も笑った。 自称ロマンチストの予言は、大当たりだ。 感謝してやってもいい。 「あのさ、一緒に今日帰ろうか?」 「え・・・・でも」 「いつも一緒に帰っていたのに、僕と帰るのは嫌?」 残念そうな表情を見せると、いえ!!と慌てて否定して、今から 荷物取ってきます!と慌しく少年は駆け出していた。 (ゴメンね、でも今日だけ許して) 本当は、頻繁に一緒に帰ってはいるがいつも、とは限らない。 けれど、如何しても今日は一人で帰るような気分になれなかった。 残された不二は、リョーマの集めた本を一つ一つ丁寧に本棚の元の 位置へと戻していく。 「先輩!取ってきました!!」 「うん、じゃあ行こうか?」 微笑む不二を見て、リョーマも顔を赤らめる。 初々しい反応に、ひとつひとつ今まで過ごした時間が重なって、 付き合い始めたその当初を思い出した。 「毎日、言うようにするよ。君を愛しているって」 「それは・・・若干、恥ずかしいんですけれど」 そっと手を握ると、一瞬身体を強張らせるがその後おずおずと手を 握り返された。 すっかり早まった夕暮れの訪れ、校舎の窓を通過して差し込む夕日に 伸びる影法師は二つ。 何度でも、何度でも、君と恋に落ちる。 僕らはもう一度二人を始めよう。 ひっさびさに心底シリアスを書いたような気がする!! 今しないでいつするのか、記憶喪失ネタですが多分もう書かない。 それくらい労力を使ったorz 不二先輩は、自分のことを覚えていないリョーマさんに苛立ちというか、 拗ねそうな気がするんです。 |
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